歌詞精読企画・悲恋の歌として読む「僕のタニシが準優勝」

 中継点

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

歌詞精読企画・悲恋の歌として読む「僕のタニシが準優勝」



**********

kihirohitoさんの曲「僕のタニシが準優勝」のうp1周年記念に、
その歌詞をとことん深読みしてやろう、という主旨のエントリです。

強引で無理矢理な屁理屈部分も含むと自覚した上で押し通していますので、
ひとつの試みとして御笑納いただければ幸いです。

**********

登戸の父がカフェテラス
 「父」は「父親」という意味ではなく「男性」の換言ではないかと推測。
   この文章後半で解説している「僕」の性別隠匿問題と同じく、
   「彼」や「君」と言った言葉では詞に隠された意味が判りやすくなってしまう為、
   敢えて意味をずらした「父」という単語を使ったのでは、と考える。
   親子の詞として読み解く事も出来るかもしれないが、それはまたの機会に。

 登戸は多摩にあるので「たまに会う」という意味も隠されているかも。
 カフェテラスは、その「たまに会う男性」との待ち合わせ場所。
 お洒落で特別な場所、すなわちそこで出会うもの同士が
 互いに虚飾していることを匂わせている。

他国の領土で幽体離脱
 「他国の領土」とはすなわち「他人の家」であり、
 「僕」にとってのそれは、「父」の家のことになるのではなかろうか。
 幽体離脱は「魂の抜けるような、夢のような体験」を意味しているといえる。
 虚飾して出会った二人が、「父」の家で「夢のような体験」、つまり…。

すれ違いざまのなめこ汁
 この行は「僕」と「父」の出会いと二人の関係を暗示している。
 すれ違いざまというのは「行きずり」「偶然の出会い」を意味し、
 茸は多くの場合、「男性」の象徴である場合も多く、
 「なめこ汁」は露骨なものの暗喩なのでは、とも予想される。

各駅停車のLOVE
 電車に乗って行った先に「僕」のLOVEがあるということだろうか。
 あるいは「各駅停車」という言葉の意味そのままに、
 「もどかしい展開」「思うように進展しないさま」を意味しているのかもしれない。

(My Turn Is Here)
 直訳すれば「ここでは僕のターン」ということになる。
 すなわち、普段は「僕」ではない別な誰かのターンなのであり、
 「僕」のターンは今、ここでだけ…という切なさを孕む表現である。

爽やかな朝の摩擦熱
 朝は始まりであり、後出の「夕暮れ」と対応している。
 爽やかな恋愛の始まりを示唆していると取れる。
 摩擦熱は、何かとの関連性で生じる軋轢と解釈することもできるし、
 もっと露骨に言ってしまえば「自慰」に代表されるような
 性的な行為の暗喩であるとも言えるだろう。

地球に届けラヴメッセージ
 ラヴメッセージはそのまま「愛の言葉」であると考えて良いだろう。
 「僕から『父』への愛の告白」という解釈が妥当か。
 届く先が「父」ではなく「地球」であるというのは意味深である。
 これは少々独自解釈に過ぎるかもしれないが、
 地球=World Wide Web、と解釈してみるのはどうだろうか。
 「父」に送っても報われない愛のことばを、
 (おそらくは匿名で)ネットに書き込む「僕」の姿をイメージする。

頼むから僕に握らせて
 僕が握りたいものについては多義的であろう。
 前出の「なめこ汁」や「摩擦熱」を性的に解釈するのならば
 ここで「僕が握りたい」物も相応の解釈が可能であろうし、
 愛するものを把握したい、掌握したいという征服欲の表現とも取れる。

駄々漏れモードのLOVE
 「僕」は「父」と「ラヴメッセージ」を交わす間柄である。
    さてここで、「僕」とは何者かについてちょっとだけ補足。
    「僕」の性別については男女どちらでも構わないと思うが、
    個人的意見としては、主体を明らかな女性として作詞してしまうと
    「父」とのラブソングであることが容易に推測されてしまい
    必要以上に生々しい楽曲となるであろうから、
    それを避け、敢えて恋愛性を隠匿するために
    「僕」という一人称を選択したのではないだろうかと思っている。
    前述した「父」が「彼」の換言であるとするのと同じ理由である。

 しかしながら、「他国の領土」などの語句から推理するに、
 「僕」はその気持ちを公表できない立場ではないかと予想される。
 そんな恋慕が「駄々漏れ」というのは拙いことではないだろうか。

僕のタニシが準優勝

 「タニシ」は「僕」の本質的な何か、大切なモノの暗喩であろう。
 またしても露骨な話で恐縮だが、「茸」が男性の象徴であるように、
 「貝」は女性の象徴であることも付記しておく。
 そんな僕のタニシは「準優勝」なのである。
 「僕」は「父」にとっての一等賞にはなれなかったのだ。
 或いは「LOVE」が「駄々漏れ」であったが故に疎まれて、
 一等賞になる権利を永遠に失ってしまったのかも、という想像もできよう。

枯葉散る夕暮れの街に
 枯葉、夕暮れともに「終わり」の暗示。
 二番の「爽やかな朝」と対応しており、
 (恋愛の)始まりと終わりが描かれているといえる。

ひたひたと迫る異生物
 異生物とは、「僕」と「父」の関係を邪魔するものだろうか。
 「父」にとっての「一等賞」の相手が、
 「準優勝」の「僕」を排除しに現れた…とまで言うと深読みに過ぎるか。
 ともあれ、具体的な存在にせよ、内的なものにせよ、
 「僕」にとっての不安を象徴するものには間違いないだろう。

時々は思い出してよね
 別れの言葉であるとすれば、多分に未練を含む言葉である。
 「夕暮れ」「異生物」の描写をふまえてこの言葉を解釈すれば
 「僕」に何が起こったかを予想するのは容易いだろう。

赤方変移のLOVE
 赤方偏移とは、遠ざかるもの同士に起こる物理現象。
 「僕」と「父」が遠ざかっているのであろう。
 物理的な距離のみならず、「LOVE」=気持ちも遠ざかっている。


**********


すなわち、「僕のタニシが準優勝」の歌詞は、
「僕」が恋におち、しかし叶わず、別れざるを得なかった…という
悲しい物語が芯となっているものだと解釈する事が出来ます。

また、性的な深読みが可能な部分も多いのではないでしょうか。
これについては、インド映画における「水に濡れる」映像は通常「性行為」の暗喩であることと
今回の動画に使われた一見単なるギャグのような実写映像が
インド映画・男女・水辺のシーン のチョイスであることも絡めて考えられそうです。

この歌詞は、シュールさ・不条理さを評価されがちだと思います。
もちろんそういう解釈も楽しいものですし、個々の解釈に間違いなどというものはないでしょう。
しかし、実はそれだけではないかもしれない。
レトリックによってとことんカモフラージュされてはいるけれど
筋道の通った、時にはきわどい表現も含まれた、切ないラブソングとしても
受け取り味わう事ができる作品ではないだろうか。…と。

まぁ、作詞者ご本人に聞いたところで
「あー、そうとも言えるかな?」とか何とか、はぐらかされること請け合いなんですけどね。
それがいい。

読んで下さって有難うございました。












管理者宛の投稿

プロフィール

くまみ

Author:くまみ
色々やってます。

最近の記事
最近のコメント
最近のトラックバック
月別アーカイブ
カテゴリー
ブログ内検索

RSSフィード
リンク
ブロとも申請フォーム
QRコード

 
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。